支部大会要旨・報告  21-

The Hokkaido American Literature Society                    日本アメリカ文学会北海道支部

 

21~

第24回日本アメリカ文学会 北海道支部大会報告

平成26年6月28日・北海学園大学

講    演

英語系カナダ文学とアメリカ  ――The Cambridge History of Canadian Literatureを中心に――


      講師: 堤  稔子(桜美林大学名誉教授)


要旨:

 日本カナダ文学会が一昨年迎えた創立30周年記念プロジェクトとして全訳を進めているThe Cambridge History of Canadian Literature (2009) から、各時代のアメリカ観を探ってみた。ケンブリッジ大学出版局が初めてカナダを単独に対象にした、全753頁、31章、31人の執筆者がそれぞれ独自のアプローチで執筆した本格的な文学史である。

 16世紀、フランスの植民地として出発したニューフランスが7年戦争後、パリ条約により英領となったのは1763年、アメリカ革命の前夜である。革命に反対した王党派Loyalistsが中心となって生まれた英系カナダでは、英帝国への帰属意識が強く、共和制の新興国アメリカに対して批判的な発言が多い。(Susanna Moodie、T. C. Haliburton)。その一方で経済的に優位に立つアメリカに羨望のまなざしを向け、アメリカの出版市場に頼っていたのも事実である。1867年、カナダ自治領誕生後活躍したConfederation Poetsと呼ばれる一群の詩人・作家がまず評価を求めたのはイギリスの文学界だが、出版先はアメリカだった。長年ニューヨークに在住してカナダ作品の出版に尽力したメンバーもいれば(Charles G. D. Roberts)、同地に永住した者もいる(Bliss Carman)。ベストセラー作家Lucy Maud MontgomeryやPauline Johnsonが依存したのもアメリカの出版市場だった。

 英帝国への帰属意識に変化の兆しが見えたのは第一次大戦後、Pax Britannicaに影が差し、第二次大戦によりアメリカの優勢が決定的になってからである。放送の世界では1920年代、南からの放送網の侵入に対抗してCBC (Canada Broadcast Corporation) が設立され、絵画ではGroup of Sevenが活躍し、文学においてもカナダ作家協会の結成(1921)、総督文学賞の設立(1936)などの進展が見られた。この変化の過程を自ら体験し、作品に投影したのは往年の‘国民作家’Hugh MacLennanである。また批評家Northrop Fryeの影響を受け、アメリカ留学でカナダのナショナリズム意識を強めたMargaret Atwoodが登場するのは1960年代。その痛烈なアメリカ批判はシンポジウムで展開されよう。

 一つ注目に値するのは、詩の分野においてはニュークリティシズムの影響下、ブラックマウンテン派を中心とするアメリカからの影響が素直に受け入れられたことである。さらに1980年代以降、多文化主義・グローバリゼーションの波を受けて、カナダ文学におけるアメリカへの対抗意識は下火になっている。



報告 (司会 本城 誠二)

 要旨にもありますように、カナダ文学を単独で扱ったThe Cambridge History of Canadian Literature(2009)を日本カナダ文学会が翻訳を進行中だそうです。その中心的訳者である堤先生は本の章立てに従って通史的に、しかし翻訳の責任者ならではの豊富なエピソードを交えてお話をされました。司会として紹介のために略歴を拝見しますと、東京女子大(学士)〜コロンビア大(修士)〜ワシントン大(博士)で学んだ堤先生は、もともとアメリカ史と文学研究をされていたけれど、1970年代にはじまったカナダ(文学)研究にシフトしたようです。それまではトロント大学の英文科でもイギリスとアメリカ文学が中心に論じられてきてカナダ文学は周辺に位置していたそうです。

 さて、文学史はカナダの歴史と政治の変化に並行して語られます。すなわち先住民とフランスによる植民からはじまり、1867年カナダ自治領(コンフェデレーション)成立、その後のポスト・コンフェデレーション期を経て第2次大戦後のモダニズムの影響をうけます。カナダ文学におけるモダニズムの微妙な受け入れられ方はシンポジウムでもふれられました。そして1960年代においてはマクルーハン(メディア論)、フライ(文学批評)が有名ですが、対抗文化の時代でもありカナダ独自の文学のあり方や研究が出現した時期でもあったようです。例えば「サヴァイヴァル」をカナダの文化的特徴と主張するアトウッドは、作品としてはミステリやユートピア(ディストピア)小説のスタイルを利用した、特にカナダと言う場を意識しないポストモダン的な小説を書きます。ポストモダン的と言えば、オンダーチェのように、スリランカ〜イギリス〜カナダと移動し続ける、その生き方においても従来とは異なる作家が出現して来ているような気がします。そしてカナダで初のノーベル文学賞を受賞したマンローはカナダ文学に世界の目を向けさせました。

 そのカナダ文学は全体として、他者としてのアメリカをどこまでも意識し続けてきた点が印象的でした。第2部のシンポジウムでもふれられているように「アメリカの隣にいる事は象の隣にいるようなもの」なのでしょうか。そのシンポジウムの議論を踏まえると、ポストコロニアルな視点やグローバルな観点を経験したカナダ文学へのアプローチは、アメリカを意識するカナダや、他者との関係からではなくカナダを独自に見据える事もふくめて、相対化されつつ同時に混沌としていく様に見えました。

 そしてそんな中で、様々な議論の根拠となるような正史の確認がこの『ケンブッリジ版カナダ文学史』ではなされていて、その翻訳の完成が今まで以上に待たれていると思いました。
























シンポジウム

    英語系カナダ文学とアメリカ

         司会  松田 寿一

要旨

 近年、少なからずのカナダ作家が国際的に認知されつつある中で、Alice Munroのノーベル文学賞受賞はカナダ文学が歴史と伝統に裏打ちされた実質あるものだということを改めて内外に示す機会となった。「カナダ文学など存在しない」「評価に耐える作品を生むには何世代かかかる」とさえ語られた、かつてのコロニアルな状況を思い起せば著しい変化である。

 英語系カナダ文学は建国来、カナダ独自の伝統、いわばアイデンティティ追究に腐心してきた。その際つねに意識されたのは旧宗主国イギリスや隣国アメリカ合衆国との差異化の必要性である。1960年代から70年代にかけてのカナダ文化ナショナリズム高揚期に出版されたMargaret AtwoodのSurvival-A Thematic Guide to Canadian Literature(1972)はその典型である。英米とは異なる文学としての自己定義、とりわけ大国アメリカの影響からの脱却という問題を前景化したこの文学論において提示された「生き残ること」というシンボルはアメリカニゼーションの波に抗うカナダの精神的立ち位置を指し示すものでもあった。とは言え、多民族による複合的存在へと変貌した今日のカナダにおいては、一元的なカナダ性を想像すること自体、先住民や新たな移民、カナダ諸地域の多様性を抑圧することにもなろう。例えばケニアからの移民作家M. G. Vassanjiが主張するカナダの物語は「騎馬警官やホッケー、北方性ではなくて、つねに自身を調整し再定義し続けるカナダ」を映し出すものであり、具体的には移民が携えてくるアフリカ、アジア各地の土地や歴史の物語でもある。Survivalは時代遅れの書物となったのか。

 しかしながらAtwood は2004年版に新たに加えたこの書の序で、「ケベック問題、国の統率力の喪失、合衆国による経済的支配の拡大によって、初版において暫定的だった警告が日常の現実になった」とし、カナダ的アイデンティティの問いは今も残されたままだと述べる。カナダの現況に対してAtwoodが促すのは、「私たちは本当に他の人々と異なっているのか、もしそうならば、どのようにか、そしてそれは保持する価値のあるものか」という問いの省察である。SurvivalにおいてAtwoodはカナダの植民地意識、犠牲者(被征服者)対勝利者(征服者)という二項対立的思考を超えた地平への脱出を模索した。Atwoodにしても要諦はカナダを再定義し続けることであり、同時にカナダ文学が単に生き残ること以上の何かを創造することなのである。

 本シンポジウムでは「保持する価値のある差異」の有無や意義という古くからのカナダ的アイデンティティの問題を英語系カナダ文学とアメリカとのさまざまな関わりの中で考える。仏語圏を有しながらも北米の同一言語圏にあることで国境の南側からはその存在が意識されることの少ないカナダ文学の一面を知ることはアメリカを映し出すもう一枚の鏡を差し出すことにもなるからである。     



カナダらしさを描く―アメリカの影響からの脱却 

            ―アメリカの隣に暮らすことは、象の隣に寝ているようなもの―

         講師: 佐藤 アヤ子  

 「アメリカの隣に暮らすことは、象の隣に寝ているようなもの。この動物がどんなに友好的で冷静でも、ほんのちょっと動いたり鼻を鳴らしても、隣に寝ている人は影響を受けるのです」こう語ったのは、1968年に首相の座に就いたPierre Elliott Trudeau。トルドーは、カナダ第一主義を掲げ、反米主義的な文化的・経済的ナショナリズム政策を実行した首相として知られている。

1960年代のカナダは、アメリカ系多国籍企業によるカナダの経済的、文化的領域への侵攻に対して、攻撃的な姿勢をとる若きカナダ人グループが勢力を得てきた時代でもあった。さらに、1967年の建国百周年を機に、カナダではナショナリズムの気運が高まり、旧宗主国イギリスの亜流でなく、隣の大国アメリカの「弟」芸術とみなされることのない独自の「カナダ的」な作品をカナダの芸術家たちは求め始めた。本発表では、このような時代思潮に鑑みながらカナダ演劇とカナダ小説が描き出した〈カナダらしさ〉を検証したい。

カナダ演劇界を一変させるような戯曲が1967年に初演された。George Rygaの傑作The Ecstasy of Rita Joeである。自らの民族の古い生活についていけず、また先住民にとっては決して居心地のよくない白人社会にも適応できず、社会の底辺に脱落していくカナダ先住民の悲哀を描いたドラマである。精神的に植民地状態にあるカナダ社会にとって、カナダの劇作家による、カナダに材を求めた〈カナダ原産〉の戯曲の成功は、カナダ演劇界が外国作品の輸入物だけに頼る必要がないことを証明した。さらに、公的資金援助によってカナダ演劇界にも発展のチャンスが広まり、トロントのタラゴン・シアターのようなカナダ独自の演劇を育成しようという劇場も誕生することになる。

 Margaret Atwoodは、カナダ文学批評のカノンとも言える、Survival: A Thematic Guide to Canadian Literature(1972)で、カナダ文学には脈々と続く独自のアイデンティティというべきテーマがあることを確認してみせた。それは、「生き残ること」。しかし、モザイク化が進む現代のカナダ文学界にあって、〈カナダらしさ〉を見つけることは難しくなっているが、この「生き残り」のテーマが健在であることを、アトウッドの最近作〈MaddAddam〉三部作が明確に示している。

 2013年、82歳でノーベル文学賞を受賞したAlice Munroもまた、〈カナダらしさ〉を演出してきた作家と言えよう。魅力的な仕事も華やかな生活もない閉鎖的な故郷のオンタリオ州南西部のヒューロン郡を舞台に、鋭い観察力と洞察力を生かして人々の心の機微を描いてきた。マンローは多くの作品を『ニューヨーカー』に発表してきた。しかし、カナダ的状況を極めて強く描写したマンロー作品は祖国カナダで歓迎され、注目を浴びる結果となった。「物語を書くことしか能力がなかった」と語るマンローにとって、書くことは「生き残る」手段でもあった。

 


TISHの詩学とAl Purdy ―北の“ブラックマウンテン”とカナダ詩―

         講師: 松田 寿一

 ヴァンクーヴァーの詩のニューズレターTISHがブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)の学生Frank Davey、George Bowering、Fred Wahらの手で刊行されたのは1961年のことである。きっかけとなったのは当時UBCで講じていた米国人教授Warren Tallmanが招来した米詩人Robert Duncanの詩や講演、さらにDonald Allen編纂によるThe New American Poetry(1960)を通して学生たちがCharles Olson、Robert Creeleyなどの詩論にふれたことにある。彼らを刺激したのはそれまで一部のカナダ人にしか知られていないPoundやWilliamsに連なるモダニズムの最新の伝統であり、とりわけOlsonを理論的支柱とし、“ブラックマウンテン派”と呼ばれた詩人たちがそれぞれに追究する詩学であった。1963年までに19号、その後断続的に1969年まで出版され、カナダ詩の新しい動きの先駆けとなるTISH誌上の詩やエッセイにはOlsonらの影響が随所に見てとれる。またその間には実際にDuncanやCreeleyをはじめ、多くの米詩人たちがヴァンクーヴァーを訪れることになる。

 一方、カナダの文化的ナショナリズムの気運が高まる1960年代から70年代前半はカナダ的なテーマを発見することで、英米とは異なる文学を自己確認する作業がさまざまに試みられた時期である。そのような折にカナダ性の探究からはあえて距離を置き、アメリカから持ち込まれた詩法に倣うTISHはカナダ詩の伝統をないがしろにするとの非難も受ける。Atwood、Michael Ondaatje、Boweringらがカナダを代表する詩人と称えたAl Purdy (1918-2000)もまたTISHの中心メンバーやOlsonらに対する批判者の一人であった。しかし詩の形式は感情の自然な流露によって決定されるとしていた点や特定の場所の感覚を掘り下げ、そのプロセスを自身に固有な言語で表現するなど、PurdyにはOlsonやWilliamsらの主張に通じる部分も多く見られる。従ってTISH批判の要因は彼らの詩学そのものにあるのではなくて、反アメリカ的な政治的心情の反映やカナダに以前からくすぶる国際派に対する土着派の反発の変奏と見えなくもない。しかしながらTISH の詩学の淵源をOlsonやWilliams、さらにイマジズムへと辿るとき、その系譜とは異質なPurdyの姿が浮かび上がる。米詩人の存在をつねに意識し、刺激を受けながらもPurdyの詩にはアメリカ発のモダニズム詩とは相容れない要素が見出されるのである。

 本発表では“最もカナダ的な詩人”とも言われたPurdyのTISHTISHが範とした“ブラックマウンテン派”、とりわけOlsonの詩や詩学との違和を探ることにより、カナダ詩史におけるアメリカ詩移入の一面に光を当ててみたい。

 


Chelsea Hotel No. 2:歌手の歌手レナード・コーエンと場所

         講師: 野坂 政司

 レナード・コーエン(1934- )は、まず詩人、小説家として認知されたのであるが、1970年代から80年代にかけて歌手として次第に知られていき、80年代後半にはスター歌手として広く大衆に受容されることになる。モントリオールに生まれ、カナダで成長するが、1955年にマギル大学を卒業して、ニューヨークに行き、コロンビア大学に通う。その後、59年にロンドンへ、60年にギリシャのイドラ島へ、モントリオールに一時戻り、61年にキューバへ、それからアメリカ、ヨーロッパ、カナダ、ギリシャと移動しながら、歌手として活動の枠を広げ、世界ツアーを繰り返しながら、現在に至る。

 Web サイトThe Leonard Cohen Filesによれば、コーエンの歌のカバーバージョンが世界中で2,700以上あるという(http://leonardcohenfiles.com)。このことは、世界中の歌手たちにコーエンがいかに深く広く受容されているかを端的に示している。巨大な世界市場を持つ音楽産業の現場では、メディアを横断する複合的な広報宣伝力が駆使されており、その周辺にいるファンたちもネットワーク上で大量の情報を流通させており、カバーバージョンを制作した他の歌手たちのコーエンに対する高い評価があることなどが重なり合って、コーエンの歌手としての魅力はカナダという地域性を越えている。

 コーエンの詩、小説、詞には、いろいろな角度から考察を加えることが可能であるが、ここでは、彼のChelsea Hotel No. 2を取り上げて、その詞の主題であるジャニス・ジョプリンとの出合い、それが生じた場であるニューヨークの伝説的なホテルへの想いなどを、コーエンの小説『嘆きの壁』の含意を方位学的研究における西部の文学の具体的な事例として繰り返し言及したレスリー・A・フィードラー『消えゆくアメリカ人の帰還—アメリカ文学の原型 III —』を参照しながら、考察してみたい。フィードラーは、コーエンとキージーとにおいて、「初めて狂気と「西部」との究極的な一致が完成し…」と指摘しているが、コーエンのチェルシー・ホテルとは、フィードラーが『嘆きの壁』に見た「西部」が象徴的に具体化された「場所」であると考えてみたい。そして、コーエンの詩(詞)を読み解くために、「場所」がどのような視角を提示することになるかを考えてみたい。

 


ポーリン・ジョンソン: 生き残りの戦略

         講師: 荒木 陽子

 E. ポーリン・ジョンソンは、現在のオンタリオ州でモホーク族の父とアメリカ合衆国経由で英領カナダに移住したイギリス生まれの母の間に生まれた。生涯独身を通した彼女は、19-20世紀転換期の北米を英語系の白人を聴衆とする作家・パフォーマーとして生き抜くために、北米英語圏に住む先住民として、そして白人として、英・米・加、そして先住民の文化リテラシーを駆使し、必要に応じて自らの人種的・文化的遺産における力点を変え活動を続けた。本報告はその変遷に当時の北米の文化状況が影響した点を検証していく。

 ジョンソンは1867年の連邦結成後に起こったカナダ文芸ナショナリズムの中で、英国への忠誠を誓い国境のカナダ側に移住したロイヤリスト・モホーク族の子孫、ポスト・コンフェデレーション時代のカナダ・ナショナリストとして、時にアメリカを差別化しながら自らのカナダ性を演出し、カナダの白人聴衆に自らを「ロイヤリスト」、「カナダ人」として売り込むことで文壇に頭角をあらわした。一方で活動の幅を広げてゆく過程で、ジョンソンは「アメリカ」に訴えるとともに、自らの「先住民性」を強調していく。ジョンソンの反米感情は先行研究により知られるところであるが、彼女は自らの先住民性を商品化する際には、オーディエンスの間で知名度の高いアメリカの詩人ヘンリー・ワズワース・ロングフェローの『ハイアワサの歌』(1855)に登場するミネハハをモデルに独自の先住民風の衣装を創り、それをステージ衣装とした。また、失敗に終わるものの、文芸マーケットが脆弱で作家がアメリカの市場、特に雑誌に作品を発表し生計をたてることが常態化していたこの時代に、ジョンソンも親戚であり、同世代のカナダの男性詩人を積極的にアメリカの雑誌に紹介したウィリアム・ディーン・ハウエルズを頼り出版の機会を求めた。

 そして反米感情や当初の失敗にもかかわらず、20世紀に入りパフォーマーとしての活動から引退したジョンソンの生活の大きな支えとなったのは、彼女が「売れる作品形式」を研究した上、自らの「カナダ性」と「先住民性」を搾取して生産し、アメリカの少年・婦人向けの雑誌に提供した、「カナダの先住民」を取り扱う短編小説群であった。作家・パフォーマーとして自立を目指した複合的アイデンティティを持つカナダ人女性ジョンソンにとって、アメリカとは自らのバックグラウンドの力点を変えるように、オーディエンスからの需要により如何様にも利用できる文化的資源であり、時に「失われた故郷」、「カナダへの文化供給者」、そして「他者」としての自らを売り込むことのできる市場として機能する、生存に必要不可欠な存在であった。



報告(司会  松田 寿一)

 昨秋、アリス・マンローが話題になったとはいえ、どちらかというとなじみの薄いカナダ文学との関わりということもあり、アメリカ文学の大会にどの程度聴衆が期待できるか、やや不安ではあった。しかし、知られていないことが逆に新鮮なテーマと映ったのであろうか、一般の方々の来聴もあり、企画した側としても安堵しているところである。以下、発表内容を簡単に述べ、報告にかえさせていただく。但し、当日は全体の流れや自身の発表等の準備に気をとられ、記憶にやや曖昧な点もあり、とりまとめ役の報告内容としては各発表者の意を尽くしていない点はご容赦願いたい。

 最初に司会からシンポジウムの主旨確認がなされ、続いて4人の発表が行われた。一番手の佐藤氏は、「カナダらしさを求めて」というタイトルで、時代思潮を鑑みながらカナダ演劇、カナダ小説に「カナダらしさ」を検証した。まず、氏はカナダ先住民の悲哀を描いた1967年のGeorge Rygaの傑作The Ecstasy of Rita Joeにふれ、カナダ人劇作家による、カナダに材を求めた本劇の上演成功が、カナダ演劇界がもはや輸入物演劇だけに頼る必要がなくなったことを指摘した。さらに、公的資金援助の導入がカナダ演劇界発展に貢献したこと、その後のカナダ社会の多様性が演劇界にも反映されたことを紹介した。また、昨今、モザイク化が進むカナダ社会、文学界では、「カナダらしさがないのがカナダらしさである」とポスト・コロニアルの作家たち、批評家たちによって論じられているが、1972年に、Margaret AtwoodがSurvivalで示したカナダ文学に脈々と続く独自のアイデンティティ「生き残り」のテーマが健在であることを、アトウッドの最近作〈MaddAddam〉三部小説を通して検証した。

 次に松田は、「TISHの詩学とAl Purdy—北の“ブラック・マウンテン”とカナダ詩—」と題して、のちにカナダのポストモダニズムの先駆けとも呼ばれた詩誌TISHに対する違和をカナダの国民的詩人Al Purdyの作品を通して検証した。TISHはOlson、Creeleyらのいわゆるブラックマウンテン派やWilliamsの詩から多大な影響を受けたが、Purdyも詩のフォーム、場所の感覚などについては彼らと共通の考えを有する。しかしPurdyの彼らに対する違和は反アメリカといった政治的意識に由来するのではなく、Purdyの詩における時間や事象に対する連続性の感覚にあるというのが松田の指摘である。例えば、特定の土地を題材としても、WilliamsやOlsonのように異なる事象を同一空間上に並列的に提示する方法をとらない。Purdyの詩に見られるポリフォニー(多声)性においてもいわゆるモザイク的な展開ではなく、多様な声が縫い目なく連続してシフトする仕方に特色があるとし、そうした点にPurdyの、ひいてはカナダ的な感覚の一端が見出せるとした。

 休憩をはさんで、三番手の野坂氏は「Chelsea Hotel #2:歌手の歌手 レナード・コーエンと場所」と題し、モントリオールに生まれ育ちながら、後には世界各所に移り住み、やがてカナダという地域性を越え、今なお歌手として国際的に活動を続けるコーエンにおける「場所」の意味について考察した。氏は、コーエンがかつて新鋭詩人・小説家として注目されながらも、最終的に歌手という道を選択するまでのさまざまな出会い、逡巡を跡づけながら、彼が求め、向かおうとしたのはフィードラーが言うところの「西部」を象徴的に具体化した「場所」、すなわち「広大無辺で方位のない場所」であるとした。チェルシー・ホテルとはコーエンにとってまさにそのような意味が付与された場所(空間)であり、どこでもない場所である限り、そこでは国籍なども問題にはならない。惹きつけられるようにしてそこに集う人間たちと彼は関係を持つが、そうした関係の場からのみ彼の歌(詩)は生まれる。他の発表者が何らかの形でカナダ性を意識した人物を扱うのに対し、氏はあえて、カナダ性から距離をおくコーエンを通して、「場所」と詩そして詞が発生する場の意味を掘り下げることで、カナダ性とは何かという問いそのものを問い直す視点を提供した。

 最後に荒木氏は19世紀後半から20世紀初頭にかけての詩人、作家、パフォーマーE. Pauline Johnson(1861-1913)の活動の変遷を通して、当時の米加の文化ポリティクスの在り方の一端や、彼女にとっての「アメリカ」「カナダ」、そして「米加の差異」について考察した。軸となるのは、モホーク族の父とイギリス生まれの女性を母とする彼女が、自らの複合的アイデンティティの力点、そしてアメリカの文化との関わり方を変えながら、独身で生き延びていったさまである。例えば、Johnsonの先住民意識もさまざまな要因が絡み合うことによって高まって行ったというのが真実だと氏は指摘する。ロイヤリストの末裔としての意識と反米感情が現れる詩作の時期には必ずしも先住民を意識した作品は多くはなく、アメリカのマーケットやカナダの白人読者のエキゾチズムに応えるために短編小説、物語、記事などを書いた時期には先住民をテーマにする作品の割合が増大したりもする。個人的には反米感情を抱いていたJohnsonではあるが、彼女にとって合衆国は、自身が生き延びるために多様な形で利用できる、あるいは利用せざるを得ない文化資源でもあったのである。


 以上が発表概要である。発表後の質問時間は15分ほどであったが、フロアからは近年のアトウッドにおける地球規模でのサバイバルといったテーマに関する感想や「保持しなくてはならないカナダ的価値とは何か」を改めて問う肝心かなめの質問もなされた。「自身を映す鏡を持たない国」「不在の国」とさえ言われ続けたカナダ。アメリカニゼーションの波や多文化主義の中でますます自己定義に苦慮しているカナダではあるが、その苦境からカナダ文学の可能性、存立の意味が発せられると思われる。今回の支部大会は、各発表者にとって10月の全国大会に向け、より緻密に準備を進めるための有意義な機会となった。




        
















第23回日本アメリカ文学会 北海道支部大会報告

平成25年12月14日・北海学園大学

講    演

アメリカ小説の映画化をめぐって


      講師: 諏訪部  浩一(東京大学)


要旨:

 アメリカ小説はよく映画化される。実によく映画化されるといってもいい。だが、いわゆる文学プロパーの研究者のあいだで、そういった映画がまともに考察されることは意外なほど少ない。職業上の関心や義務感から映画化作品を映画館なりDVDなりで観ることは観ても、それについて積極的に論じたいとは思わない人が多いのではないだろうか。自分の身を振り返っていえば、映画化作品に対してそのように冷淡な態度をついとってしまうのは、ある小説の愛好者としての、あるいは文学研究者としての、自己規制が働いているためかもしれないと思う(原作より映画が面白くては困ってしまうのである)。正直なところ、それはそれで構わないのではないかと開き直ってしまうような気持ちもあるのだが、こうした「自己規制」について自省的に考えてみることは、「アメリカ小説」の特徴や、「小説」と「映画」にできることの違いなどについて考えることにも通じるだろうし、そのように考えていくことによって、アメリカ文学研究者ならではの観点から、その映画化作品を積極的に評価することも可能となっていくのではないかと期待したい。そうした問題意識を持ちつつ、具体的には、「フィルム・ノワール」というアメリカ的ジャンルが、原作の可能性を見事に引き出して発展を遂げたことについて、あらためて考えてみたいと思っている。



報告 (司会 岡崎 清)

 諏訪部氏の講演は『グレート・ギャッツビー』と『マルタの鷹』を取り上げ、それぞれ原作と映画の関係を原作の「読み」の側から解釈ポイントを精緻に設定して我々に開陳してくださった。

 デカプリオ主演の近作『ギャッツビー』では、原作のもつタイトルの「両義性」が消し去られ、ニックがギャッツビーを全肯定してしまう点(ニックがサナトリウムに入り、自己回復をはかる原作にはない設定)など、作品(原作)の魅力を半減させていると氏は指摘された。原作のもつ「モダニズム」小説の勘所が、映画化されることによって捨て去られてしまったようだ。勘所とは「見せる」(或いは何を語るか)ということではなく、「(どのように)語るか」という表現の問題と関係する。端的に言えば、モダニズムが「アイロニー」をとおして「語る」ことの新機軸を打ち出しているのに、それが映画になると映像の処理で扱えない(扱いにくい)ことを氏は言及された。だからモダニズム小説と映画は相性が悪いことになると。解釈の問題では、『ギャッツビー』原作でニックが゛I disapproved of him from beginning to end.”とギャッツビーを相対的に距離を置いて見ているのに対し、映画ではその言葉が反映されず「削除」され、「その結果彼とギャッツビーの友情関係がほとんどナイーブなほどにあっさりと成立する」と諏訪部氏は指摘する。加えて『ギャッツビー』の豪華なパーティ場面の「下品さ」に原作のヒロインは「おぞましさ」を感じているのだが、映画では「肯定的に受けとめてしまう」。原作のもつ複雑さを映画製作側が「十分に理解しないままに作られている」と氏は話された。

 いっぽう『マルタの鷹』1941年映画版は、原作の勘所を解釈し、すぐれた作品となっていることを氏は例示しつつ説明された。探偵スペードの「ロマンティシズムと自意識のせめぎあい」が原作の読みどころであるのだが、映画版もそこを「見せどころ」に「変換」して成功しているからだと明快に述べられた。

 アメリカ映画史にまつわる自己検閲制度(「ヘイズ・コード」)や68年に始まった年齢制限制度(「レーティング制度」)など、映画を創ることの制約と制約解除との関係で生じた映画の変質もまた氏は説明された。たんに「見せる」ことの拡大(「見せ物化」)が垂れ流し的に増幅され、制限下の時代にあった作り手の工夫が今日ではあまり見られないのではないかという氏の感想にフロアーの聴衆者も首肯されたのではないかと思う。ヒッチコックがあえてモノクロ映画を創り、いかに色を出すか工夫していたことなど思い起こさせる。

 映画はそれ自体が文学とは別個の芸術形式である。だから普通は文学研究プロパーの研究者が映画化作品を研究対象とするには「プレッシャー」がかかる。本講演で氏はそのプレッシャーを跳ねのけて、小説の映画化について文学研究者の側から発言することの視点や意義を教示された。




シンポジウム

    物語はジャンルを横断する

         司会  本城 誠二

要旨

 19世紀末に映画が誕生するまで物語は文学の専有物だった。しかし視覚的・空間的に新しいこのメディアによる物語は20世紀を席巻した。とは言え、映画は原作を持たないオリジナル脚本でも、小説を原作とする脚本においても、先ずは文学的物語に依存していると言って過言ではない。その意味で、物語は文学から映像へジャンルを横断する。または物語が2つのジャンルに架橋しているとも言えるだろうか。本シンポジウムでは、この物語を共通項として文学と映画を幾つかの視点から考えてみたい。

 一つは、小説のアダプテーションとしての映画ではなくて、小説そのものを映像的な視点から読むと何が見えてくるかと言うアプローチである。西谷氏によるこの試みは文学テクストの新しい読解方法になりうる。映画の出現以来、小説はその技法に影響されてきた要素が少なからずある。特にアメリカ文学はその傾向が強いことは、ドス・パソスの『USA 』(1936年)から現代のアン・タイラーの作品に至るまでの諸作品を読むとよくわかる。その理由として、アメリカ文学は基本的にロマンスだと言われ、文学に特有な心理的な描写よりは、登場人物の行動やストーリーが物語の中心となる事が挙げられる。つまり、アメリカ文学はもともと映画的な特徴を持っていたとも言える。このようなアメリカ文学と映画の親和性についてもここでは触れられるだろう。

 またテクストの映像化による物語の変貌も文学と映像の大きな問題となりうる。小説をテクストとして読みつつ、映像化による変貌と、さらに社会的コンテクストのなかでどう読み解かれるかについて、塚田氏は重層的な読みを試みる。このようなある意味ではカルチュラル・スタディーズ的な文化の解読方法によって、物語は文学と映画の中でどのように変貌し、新たな意味を読者 / 観客に見せてくれるか。

 最後にテレビというもう一つの映像メディアにおける物語のあり方について検討する。文学と映像という問題をテレビにおける物語の特異性という視点から読み取る事ができる。特にアメリカのテレビ・ドラマは娯楽性を目的としながらも、その量と質を評価されている諸作品が日本でも多く紹介されている。例えばシリーズものだと、物語が登場人物の日常を描写しながら続く事、登場人物への視聴者の愛着、複数の脚本家が担当している点などもテレビ・ドラマの特質だろうか。加藤氏は文学作品の映像化におけるテレビの役割について、テレビそのものの持つ物語と映像の意味も含めて考察する。

 シンポジウム全体としては、前述のように物語がテクストとして文学と映像においてどのように語られるかを議論のスタート地点として、文学の映像化作品の紹介とその比較論に終わらず、物語は誰が語るのか、映画におけるカメラ・アイの視点は文学に影響を与えているのか、という諸問題にまで踏み込んで議論できればと考えている。




Hemingway, “The Killers”を映像的に読む

         講師: 西谷 拓哉

 Hemingway, “The Killers”は短くシンプルな作品であるにもかかわらず、いや、それゆえにと言うべきか、映画作家の想像力を掻き立ててやまないようである。これまでもハリウッドではこの短篇を原作として、Robert Siodmak (1946年)、Don Siegel (1964年)によって、裏切りのテーマをふくらませ、ファム・ファタールを導入した長篇映画が作られた。両作品とも独自のスタイルを誇る優れた映像化であり、前者は「夜」のフィルム・ノワール、後者は「白昼堂々」の犯罪映画となっている。一方、より原作に忠実な映像化としてはAndrei Tarkovskyによる短篇映画(1956年)がある。さらに、映画ではないが、佐々木マキが不思議な味わいを持った漫画に仕立ててもいる(『ガロ』1968年7月号)。

 しかし、本発表では、原作からこうしたアダプテーションへという方向ではなく、「映像化」を念頭に置いて“The Killers”を読むと、どのような細部が引っかかってくるのか、また、それらの細部が小説の主題とどうからんでくるかということを検討したい。結果的には、この短篇のある反復的なモチーフの発見につながるだろう。そのモチーフをうまく掬い上げ、作品に活かしているという点で、特にTarkovskyによる映画化を参照したいと思っているが、あくまでも主眼はHemingwayのテクストの読解である。「映像化」という作業が、実際にそうするかは別として、小説の精読にいかに大きく寄与するか、その実践例を提示できれば幸いである。(Tarkovskyによる映画化はYouTubeにあります。見ておいていただけると助かります。)



ニューシネマ・ターザン――チーヴァー、ペリー、『泳ぐひと』――

         講師: 塚田  幸光

 ジョン・チーヴァーからフランク・ペリーへ。或いは短編「泳ぐひと」から長編映画『泳ぐひと』へ。作家から映画作家へと手渡された物語は、如何にその主題を継承し、変貌を遂げるのか。1960年代とは、political、racial、sexualな諸問題と共に、アメリカのダークサイドが噴出、前景化した時代に他ならない。戦後に増殖した郊外/サバービアは、もはやパクス・アメリカーナの象徴ではなく、来るべきヴェトナムの影を映し出す鏡となる。そのとき、サバービアの「父」は、「何でも知っているパパ」ではない。ケネディ(Kennedy)暗殺を契機に失墜するアメリカの威信は、ネディ(Neddy)の転落と二重写しとなり、時代の不穏さを伝えるだろう。「泳ぐひと」と『泳ぐひと』は、その時代の問題を抜きにして語れない。では、文学と映像の問題は、如何にそのコンテクストを引き受け、テクストに刻印されるのだろうか。

 複数のプールを泳いで自宅に帰る男ネディ。そして、彼を通じて見えてくる悲惨な現実。「泳ぐひと」ネディとは、サバービアの<リアル>を見せる存在だろう。では、彼の屈強な身体とマチズモは何処に接続し、如何なる意味を有するのか。本発表では、ネディの逆説的な「身体」に焦点を当て、文学と映像、テクストとコンテクストの関係性を論じる。ニューシネマ・ターザンに照射されたアメリカ、或いはプールを通じて見えてくる「もう一つのアメリカ」を考える。



文学作品のテレビドラマ化 ---- Sleepy Hollow の映画版とテレビ版の比較を通して

         講師: 加藤 隆治

 文学と映像(特に映画)との関係性については数々論じられてきているが、ことテレビとなると途端に文学者の関心は薄くなってしまうようだ。映画が文学作品のある種の「翻訳」であり、両者が相互に影響し合うものであるなら、テレビもその関係性に割って入る資格を十分に備えているのではないだろうか。いや、それともテレビは映画の「低俗な」焼き直しでしかなく、エンターテインメント中心の研究対象には向かないものなのだろうか?

 そんなアメリカのテレビ・ドラマ界は、 近年、諸処の理由により活況を呈している。そのため、ひじょうに質の高い見応えのあるドラマが次々と制作されている。もちろん人気テレビ・ドラマになればなるほどエンターテイメント性が強いわけだが、映像的にもテーマの上でも文学的な香りの高い作品も多い。例えば、あの24だって、家族を中心に据えれば、愛憎渦巻く見事な家族ドラマへと変貌するし、The Walking Deadは、エクソダスを生き抜こうとする群像劇のような重厚な作りになっている、と言えば少しは研究者の興味をひくだろうか。

 本発表では、映画版 (1999)と現在放映中のテレビ版 (2013)のSleepy Hollowを比較しながら、テレビというメディアと文学の関係性について考察していきたい。テレビ放映の利点、テレビ化する意義、映画との差異などまで踏み込めたらと考えている。


報告(司会  本城 誠二)

 今回のシンポジウムは準備のスタートが遅れましたが、結果的には支部会員、特に道外の支部会員で映画に詳しい方の参加もあり、いつか文学と映像についてのシンポジウムができればと常々考えていた事が実現できました。コーディネータ兼司会として、関係者の方たちに深く感謝申し上げます。詳細については、次号機関誌に掲載されますので、それをご覧頂くとして、まだ記憶と印象が新しいうちに簡単な報告をさせて頂きます。

 シンポジウムは「物語はジャンルを横断する」と題しましたが、「文学と映像」の関係について考察する内容です。もちろん単純な比較は最初から避けたいと思っていました。実際には物語が文学と映画と言う2つのジャンルに架橋する状況について、文学の側から、次に映像化される事で物語がどう変貌するか、そして最後はテレビというメディアは物語をどう扱うかについて語って頂きました。

 西谷氏が試みたのは、Hemingwayの”The Killers”を作品自体が持つ映像性を意識しながら読む事と、実際の映像化を念頭に置いて読むという事でした。例えば前者においては、冒頭の二人の殺し屋の名前が会話の中で徐々に明らかになるのは、われわれの現実認識のプロセスを模倣した提示の仕方で、これは映画的だと言えます。また頻出するドアのモチーフは、その開閉がシークェンスの仕切りとして機能すると指摘してくれました。実際の映像化については、3人の監督(ロバート・シオドマク、アンドレイ・タルコフスキー、ドン・シーゲル)による冒頭の殺し屋が食堂に入ってくるシーンの比較をしてくれました。ハリウッドの2監督は外から入ってくる殺し屋を店の内側から撮っています。タルコフスキーが映画学校の卒業制作で監督した作品では、殺し屋の視点で店のカウンターに近づいて行っています。また佐々木マキの漫画版(『ガロ』)では、殺し屋がいきなりカウンターに座っていると言った省略的描写の紹介も興味深かったです。

 塚田氏は冒頭、文学と映画は異なるメディアなので単純な比較は意味がないと言う過激な?発言から発表を始めました。しかしそれは、原作の方がいいと言う文学原理主義的な見方を相対化する戦略でもあったようです。実際には単なる比較研究ではなく、ジョン・チーヴァ—の「泳ぐひと」(1964)をフランク・ペリーが「泳ぐひと」(1968)として映画化する現象を、1960年代の社会背景と映画界の諸問題を含めて論じてくれました。特に主人公ネッドが泳ぎ継いで行く「プールの文化史」が興味深い指摘でした。それはターザン映画における「水とロマンス」、そしてジャングルを模したプールと南海映画との関係、ネッド(バート・ランカスター演じる)の逞しい肉体とその背後にある脆弱な精神との乖離にまで発展していきます。この誇示される男性性は、アメリカン・ニューシネマに出てくる銀行強盗やカウボーイの不能と共通するという指摘も面白いものでした。

 加藤氏はもともと音楽用語であったマッシュアップ(mashup)という原作の映像化の手法について紹介してくれました。これは2つの曲からボーカル・トラックと伴奏トラックを取り出してミックスし、それを別の曲のようにする音楽の手法ですが、これをテレビや映画にも使うと、例えば『高慢と偏見』にゾンビを加えて『高慢と偏見とゾンビ』とか、リンカーンにバンパイア物をミックスした『リンカーン/秘密の書』になる訳です。そして映画とテレビの垣根がなくなっているという現象と、そのメディアの特質から異なる作品として表れるという、相反する現象の指摘がありました。前者においては、両メディアにおける人的交流とテレビの予算拡大、そして作り手も見る側もテレビに映画的経験を求めている事から、両者の境界の意味が薄れているという指摘です。後者においては、全部ではないけれどシリーズ物というテレビの特性を考え、今アメリカで評判のテレビ版『スリーピー・ホロー』が例として挙げられました。そこでは原作のゴシック的要素が、ダーク・ファンタジー的な活劇に変貌しています。ただ、最初の原作のエッセンスを第1話に盛り込んでも、物語が拡大・延長して元の原作は消えてしまうのではという指摘もありました。

シンポジウム全体としては、3本の発表がそれぞれ文学と映画の物語を深く、濃く、熱くそして興味深く語ってくれたので、司会として貴重で楽しく有意義な時間を参加者と共有できました。
























第22回日本アメリカ文学会 北海道支部大会報告

平成24年12月1日・北海学園大学 

講    演 

 『アメリカ文学史』のあとで考えたこと

      講師:平石  貴樹 氏(東京大学)

要旨

 拙著『アメリカ文学史』をシンポジウムの題材に取り上げていただくことは、大きな緊張と光栄から身が引きしまる。引きつると言ってもいい。そこでその前の講演部分は、緊張をほぐす準備運動として、拙著を書きおえてから私なりにフォローしてきた「問題」を、ざっくばらんにお話することにしたい。まだそれはまとまった結論に達していないが、拙著が前提としていたノヴェルとロマンス、それに近代的自我といった基本概念を、日本の近代文学にあてはめるとどうなるのか。すなわち拙著の議論は日本近代文学の理解に応用される可能性がどれくらいあるのか、といった問いにずいぶんかかわっている。その応用の可能性は、ずばり、0%ではないか、というのが現在の見通しであり、私はがっくりしてしまうのだが、そのがっくりの中から、両国の小説を風とおしよく解明する方途が開けるかもしれないと、この際勝手にふくらむ期待もなしとしない。拙著には書いていないが、私見によれば北海道はアメリカ文学のふるさとなのだから、両国の小説がそこでは、水と油のようにまじわっているかもしれない。本論ではとりあえず、志賀直哉の『暗夜行路』を主としてとりあげなら、日本人の自我や私小説の構造について、整理することからはじめたいとぼんやり考えている。


報告 (司会 加藤 隆治)

 平石先生の講演は、静かに淡々と、そして多少うつむきかげんに原稿を読むというお馴染みのスタイルだった。今回の講演とシンポジウムの主題となっている『アメリカ文学史』同様の、「半径2メートル」とも言うべき語りで、聴衆を知らず知らずのうちに平石ワールドへと誘っていく。原稿を読んでいるはずなのに、読んでいる気がしない、先生の頭の中からスラスラと言葉が紡ぎだされているような錯覚に襲われ、それゆえ、耳馴染みも良く、疲労感を全く覚えない講演と言える(これは『アメリカ文学史』でも同様だ)。

 講演は、まず、『アメリカ文学史』の執筆意図からスタートする。そこでは『アメリカ文学史』を紡ぐ太い縦糸とも言うべき、「近代的自我」と「北海道」との切っても切れない深い縁が提示される。

 近代的自我は「民主主義の基盤である個人主義の別名のようなもの」で、「独力で行きていこうとする人の姿や『主体性』のようなもの」と言え、アメリカ小説ではそういう登場人物達が強烈な個性を発揮していく。一方、北海道人は、アメリカ人同様に「人間が自由であるという感覚」を自然と持ち合わせている。

 だからこそ、道産子である平石先生にとって、この「出生地の文化的刷り込み」とも言うべき近代的自我と向き合うのは必然だったのだ。

 そんな気持ちで『アメリカ文学史』を執筆した平石先生が次に向かったのは、「近代的自我の栄枯盛衰の物語が、どの程度日本の近代文学にもあてはまるのか」を検討することだった。

 近代的自我よりは家族、つまり個人より地域や共同体を意識する日本では、小説は自ずと私小説的にならざるをえず、社会意識に欠けたものになりがちである。言い換えるなら、日本は近代的自我が未発達であり、それが国民性と言える。

 従って、志賀直哉の『暗夜行路』において、作品としての破綻があったとしても問題にはならないし、ノヴェルやロマンスということを議論しても仕方がないということになる。

 この「日本的自我」と呼べるものが、いまでも日本では機能しているということを考えるならば、日本は「こういう種類の自我を守りながら、なんとか少しずつ民主化していくことが、日本の近代化」だったと言える。

 平石先生は最後にこう締めくくる。「近代的自我と日本的自我と、両方を組み合わせて持っている日本人」において、北海道人は「特にその傾向は顕著」であると。そういう北海道人の一人として、アメリカ文学(及び日本文学も)のさらなる理解へと前進していきたいと強く思わせられた講演であった。



シンポジウム

    『アメリカ文学史』を読んで考えたこと

         司会  上西 哲雄

要旨

 平石貴樹氏の講演を受けて、氏にもコメンテーターとして加わって頂いて改めて同書を囲んでアメリカ文学史について議論を深めるというのが、本シンポジウムの趣旨である。

 わが国のアメリカ文学研究の歴史の中で「アメリカ文学史」を名乗る類書は少なくないが、これほど焦点が明快で議論の展開にぶれのないものは例を見ない。序文と本文だけで390頁を超える大著にもかかわらず、一挙に読めるのはそのせいだろう。アメリカ文学史を論じるのに、技術的にはノヴェルとロマンス、内容的には「自我」という、最近あまり使われなくなっていた概念がキーワードになっている。しかしながら、研究も文学そのものも向かう方向が良くわからなくなっているアメリカ文学を、その歴史から一貫して考えるにはむしろ一層有効に使えることが、一読すれば得心できる。

 本シンポジウムでは、平石『アメリカ文学史』を手引きに、アメリカ文学史について議論するのにうってつけの作家や作品を選び、それぞれにうってつけの担当の講師がついて感想や疑問を述べ、それに対して平石氏に御回答ないしコメントをして頂くのが前段となる。北海道支部を代表する各講師が自我やロマンスにどう食いつくか、平石氏がそれをどのようにさばかれるか、楽しみな応答である。選んだ作家、作品については、講師による発題要旨に譲るが、作家論、作品論に閉じた議論というより、アメリカ文学の本質に迫るような、オープンなものに持って行ければと考えている。

 壇上での応答が一巡したところで後段に入り、議論は当日参加された方々と御一緒に、平石氏を囲んでの、アメリカ文学全般にわたる談話の会の形に持って行きたい。『アメリカ文学史』を一読しての御参加であれば、著者を囲んでの読書会ということになり、興も一層深まるものと思われる。

 うってつけの師を迎え、師走の初日の午後を、腰を落ち着けて文学談義に花咲かせるひと時としたい。



アメリカン・ルネッサンスを考える――『白鯨』への収まらない疑問

         講師:鎌田 禎子 

要旨

 本発題では、アメリカン・ルネッサンス時代の問題を、メルヴィルの『白鯨』(1851)をめぐって考える。「ロマン主義の圏域にあって、世俗の人間中心主義の立場と、アメリカ的な課題であるキリスト教との関係を問題化した」アメリカン・ルネッサンスの最も中心にあるこの作品には、構造自体に、さらに時空を超えた普遍的な共感をもたらす力があるだろう。その巨大さゆえの「収まりきらない」不思議さについて、いくつか取り上げてみたい。

 たとえばエイハブの傲慢さについて。『アメリカ文学史』では、自己信頼が局限化した挙句、神の処罰をなかば恐れなかば望みつつ白鯨を追いかけまわし、その傲慢さのために滅びるエイハブが捉えられている。だが、白鯨は何かの神意、不可知なものを示すとは思いつつ、かれはそれをキリスト教的神と同一のものとしないよう、いわば理性的に傲慢さを組み立てているようでもある。かれはもちろん傲慢で、そしてもちろん、しばしば垣間見せる「人間らしさ」を持つ。かれを滅ぼすのは、むしろその人間らしさの方ではないかと思われる節がある。 

 ほかにも、『アメリカ文学史』の記述の隙間に、気になる疑問が潜んでいる。エイハブの復讐すべき相手は、本当にモウビ・ディックであるのか、それがもし揺らぐなら、象徴としての鯨に、どのような可能性が読み取れるのか。さらに、巨大過ぎるこの作品の中で、大きな位置を占め過ぎていると見える鯨学について、海洋冒険小説が「神の沈黙に挑戦する」主題を得て全面改稿された結果生まれた奇蹟であるとしてもなお、この過剰さは何か。また、イシュメルの造形について、巨大な作品を語るがための人格として見た場合に「度しがたく相対主義者」であるのは致し方なかろうが、人物イシュメルとしての語りと作者的な語りとをもう一度見わたすことによって、見えてくるものがないか。

 結局、エイハブの人間像・鯨の象徴性・語り手イシュメルと、作品の根本に関わる素朴な疑問が並ぶ。「いわば乗り越え不可能な近代文学の最高峰」である『白鯨』も、『アメリカ文学史』も、ともに巨大に過ぎる。砕けても、真正面から漕ぎ向かうほかはない。



モダニズムを考える ――『無垢の時代』の「恐るべき産物」

         講師:松井 美穂 

要旨

 『アメリカ文学史』によると、南北戦争を経て1870年代より始まった近代リアリズム小説は、イーディス・ウォートンによって完成する。それはまた、アメリカ小説が最初期から始まって、近代小説ジャンルを完成させた姿ともされている。一方で、ウォートンの代表作『無垢の時代』が発表される1920年頃よりモダニズムの文学運動がアメリカ文学の諸ジャンルを席巻する。本発題では、時期的にリアリズムとモダニズムの境界線上にあるこの作品を取り上げて、ウォートンのリアリズムの問題について考えてみたい。

 主人公ニューランド・アーチャーが属する1870年代のニューヨーク上流社会は、人々が「決して本当のことを口にしたり、行ったり、考えたり」しない、故に「象形文字」のごとく記号を解読せねばならない世界である、と語り手は述べる。この小説において本当のことを口にしたり、行ったりするのを少しばかり許されているのはアーチャーと、そのヨーロッパ育ちの故に、時々ニューヨークの規範からはずれた行動/言動をとってしまうエレン・オレンスカである(そして語り手がその心理を伝えてくれるのはもっぱらアーチャーである)。ストーリーの中心となる出来事は二人の悲恋であるが、読者はアーチャーとエレンの欲望と規範の狭間で苦悩する様子をあえて解読するようには要請されていないように思える。

  解読すべきはやはり、小説の中で、頻繁にその人工性が指摘され、社交界の欺瞞的な制度の申し子とされるメイであろう。興味深いことに、メイは、婚約の期間を短縮して、早く結婚しようと主張し駆け落ちまで容認しようとするアーチャーに対して、「私たちは小説(novels)のようなふるまいはできないのです」と答える(それに対してアーチャーは “why not?”と繰り返す)。小説の中の人物なのに「小説のような行動はできない」と明言するメイは、あっさりとこの物語の結末を予言しつつ、「小説」の虚構性をも暴露しているように思える。

 このようなことを考えてみると、ウォートンのリアリズムはメイのイノセンスと同じように一筋縄ではいかないようである。表層と深層(あるいは真相)の微妙なバランスの上になりたつ彼女のリアリズムを、モダニズムとの連続性において考察してみたい。



ポストモダン小説を考える――乱反射するテクスト『重力の虹』

         講師:本城 誠二 

要旨

 アメリカ文学におけるポストモダン小説について簡単に解説するのは難しい。しかし『アメリカ文学史』ではジョン・バース、トマス・ピンチョンと言った2大巨匠を中心に、先行するナボコフ、ポストモダン小説後半のリチャード・パワーズ、ドン・デリーロ、ポール・オースターについても、ポストモダン的な意匠/衣装を取り去れば、自我や家族の主題が透けて見える事を看破している。

 一方、ピンチョンの『V.』(1963年)、『競売ナンバー49番の叫び』(1966年)、そして『重力の虹』(1973年)と言った代表作において一貫した主題は、見えざるシステムの社会支配と不可視性だと指摘する。特に『重力の虹』では科学や軍事に関する秘密組織が不可視の支配システムとして登場人物をパラノイアに陥れる。第2次大戦中のロンドンに配属された主人公のアメリカ軍将校スロースロップ中尉もその一人で、彼はある特殊な実験によってロケットの発射と性的な発動が同期するように改造されている。スロースロップは人工的な処置を施された一種のサイボーグと考えていいだろう。またタイトルそのものが、発射したロケットが虹の軌道を描いて重力によって落下するイメージなのだが、スロースロップだけでなく他の登場人物や物語全体も、父親的なパラノイア(男根、軍隊、制度、文明)に支配されているように見えて、最終的には母親的なるもの(大地、地球)に帰還するようにも見える。『アメリカ文学史』においても「ピンチョンのパラノイア小説」と命名されている。

 ここで検討してみたいのは、荒唐無稽な設定で世界の多様性が百科全書的に描かれている『重力の虹』におけるパラノイアの意味と、その背後に埋め込まれたと思われる家族の主題についてである。ポストモダン小説におけるパラノイアと家族の主題の問題が、『アメリカ文学史』の主張の通りかどうか、確認できればと思っている。



報告 (司会 上西 哲雄)

 平石貴樹氏の講演では、アメリカ文学に対する氏のアプローチが形成される経緯から、返す刀で北海道人の視点という補助線を使いながら、近代日本文学の成立および今後の文学の展望について話が及んだ。引き続いてのシンポジウムでは、氏にもコメンテーターとして加わって頂いて改めて同書に立ち帰り、アメリカ文学史について議論を深めるというのが、本シンポジウムの趣旨であった。

 わが国のアメリカ文学研究の歴史の中で「アメリカ文学史」を名乗る類書は少なくないが、氏の『アメリカ文学史』ほど焦点が明快で議論の展開にぶれのないものは例を見ない。序文と本文だけで600頁近くになる大著にもかかわらず、一挙に読めるのはそのせいだろう。アメリカ文学史を論じるのに、技術的にはノヴェルとロマンス、内容的には「自我」という、最近あまり使われなくなっていた概念がキーワードになっている。しかしながら、研究も文学そのものも向かう方向が良くわからなくなっているアメリカ文学をその歴史から一貫して考えるには、むしろこの古めかしい道具が一層有効に使えることが、一読すれば得心できる。

 本シンポジウムでは、この『文学史』の中で、特に平石氏が重要としている作家の作品の中から各時代を代表する3つを選び出し、それぞれ氏の論じ方についてコメントないしは質問を、各作品の担当の発題者が行うという形をとった。具体的にはハーマン・メルヴィルの『白鯨』(1851)を巡って鎌田禎子氏(北海道医療大学)、イーディス・ウォートンの『無垢の時代』(1920)について松井美穂氏(札幌市立大学)、トマス・ピンチョンの『重力の虹』(1973)に関して本城誠二氏(北海学園大学)が発言した。実はその前に、司会の上西が司会者としての導入の発言の中で飛び入りの質問をしており、都合4つの発題の形で質問ならびにコメントが平石氏に注がれたことになる。

 詳細については、支部発行の『北海道アメリカ文学』に平石氏の講演原稿と共に採録されることになっており、それを御覧頂きたいが、発題者と平石氏との間で概略次のような応答があった。

 最初に発言した上西は、『文学史』の掉尾を飾る村上春樹論と講演の趣旨である日本的自我論との関係を問うたのに対して平石氏は、村上が家族を描かないことに触れながらその文学を、日本のリアリズムからはそれていると指摘した上で、アメリカ文学に顕著な近代的な自我を巡る現代的な格闘に連なるものとなっていると評価した。 

 鎌田氏は『白鯨』について、『文学史』では自己信頼の権化のように規定されるエイハブ船長が、物語の中で実際には多様な面を抱えていることを具体的に指摘しながら問いただした。平石氏は鎌田氏の指摘を基本的にすべて肯定した上で、『文学史』には明記しなかったものの、近代人が社会的規定と個人的な欲望との間で揺れ動く中で多様な面を表出することは、『文学史』の基本的な前提であるとした。

 松井氏は、『無垢の時代』の脇役のメイの表面的な振る舞いに着目し、彼女がそのことを自覚して生きている節が物語に読み取れることから、近代リアリズム小説の完成形として『文学史』では評価されているが、「真実」なるものに強い懐疑を示すモダニズム的な世界観がそこには見られるとした。平石氏は、『文学史』に対する重要な異議申し立てであると評価した上で、ウォートンがそのことをどこまで意識していたかは再検討するべきであること、表面と真実の分離の問題は、1920年代以降の狭いモダニズムではなくてシェイクスピア以来の近代という、より大きな枠組みの問題ではないかという2点で留保を述べた。

 本城氏は、ピンチョンの小説の登場人物は相互に類似している、ピンチョン文学も家族の物語を枠組みとして表現していると『文学史』が指摘しているとした上で、それが『重力の虹』にも当てはまるのか確認する、という議論を展開した。それに対して平石氏は前者について、確かに『重力の虹』の登場人物は多様だが、多様であることを描こうとしているのではなくて、最終的にはシステムの犠牲者になってしまうという小説になっているのではないかとし、後者については、『文学史』は戦後文学を家族の問題を扱う小説群とポストモダンな小説群に分けているので、そのような指摘をしたつもりはないが、ポストモダン小説と家族の枠組みの関係はおもしろいテーマだと思うとした。

 充実した講演と発題と応答に加えて有意義な質問も複数出て、アメリカ文学とそれに対するわれわれの姿勢を巡り、活発な議論を楽しむ師走のひと時であった。

支部大会要旨・報告17-20           支部大会要旨・報告21-25

日本アメリカ文学会北海道支部

コメンテーターとして発言する平石氏


第21回日本アメリカ文学会 北海道支部大会報告

平成23年12月17日・北星学園大学 

講    演 

新書『アメリカ黒人の歴史――ひとつのアメリカ史』(仮題)を書く

      講師: 上杉  忍氏 (北海学園大学)

要旨

 バラク・オバマが大統領に選ばれ、アメリカは「脱人種時代」に入ったのだとする論調が見られる。人種に代わって、宗教が対立軸だというのである。たしかにこの30年間は、多数派社会では、人種差別はもはや争点にはならず、中絶や同姓婚、そしてイスラム教寺院の建設などが政治の争点として取り上げられてきた。白人の多くは、もはや黒人を差別している気はないし、「差別はなくなったのだから、黒人だけを甘やかして保護することは誤りだ」と考えている。
 だが現実には、社会的・経済的上昇を遂げた黒人はほんの一部に過ぎず、大半の黒人は、新自由主義政策の下で、社会の最底辺に沈殿し、不釣合いに多くの黒人が刑務所に収監され、その数は、この30年間に8倍以上となり、刑務所で「養成された」ギャング集団が、全国主要都市にその麻薬取引のネットワークを広げている。そして、オバマ政権下で黒人の状態が改善されたという情報にはほとんど接することが出来ない。
 この講演では、1960年代に出版された本田創造氏の『アメリカ黒人の歴史』(岩波新書、1964年、新版、1991年)がなお日本における『アメリカ黒人史』の「正史」となっている驚くべき現状について述べ、これに代わる「脱人種時代」の「新しい時代に適応し、近年の研究史を反映した」新しい新書『アメリカ黒人史』の必要性についてお話したい。そして、その執筆を始めた私の論点整理を可能な限り行いたい。私は、まだ作業を始めたばかりであり、なお星雲状態を抜け切れていない。まとまった話ができるかなお不安ではあるが、当日までの奮闘についてお話したい。

 

報告 (司会 本城 誠二)

  上杉先生は現在執筆中の「アメリカ黒人史」についてその執筆の動機、その意義などについて話された。その内容は私などが黒人史について曖昧にしか知らない知識を正確にかつ詳細に補てんするものであった。
 一般向けの同テーマの本は、1964年に出版された本田創造氏の『アメリカ黒人の歴史』(岩波新書)しかない。しかも上杉先生の師である本田氏の同著は2009年に31刷にもなっていながら、扱った時代は公民権法の成立前までである。上杉先生は師のその名著を引き継ぐ形で、「その後の黒人史」を書こうとしている。
 時代は公民権法の成立による人種統合、そして多文化主義へと移って行った。しかも「脱人種時代」において初めての黒人大統領が登場した。このような時代に黒人史を書くに当たって上杉先生が考慮すべき点として挙げている点は、近代資本主義国家における黒人の身体的束縛と社会的排除のシステムだった。
 さらにホワイトネス研究における白人差別意識のありよう、黒人と非白人マイノリティ集団との関係、そして黒人家族の解体という現象にも言及された。また黒人の地位向上の条件として、黒人のアイデンティティーの形成における「人種統合論」(W.E.B.デュボイスなどエリート黒人による)とM.ガーヴェイなどによる「人種分離論」、そして「白人の分裂」にも触れられた。
 現在書き進めている、しかもまだ書き終えていない本に関する講演はとても興味深いものだった。質疑の時間はごくわずかしかなく、例えば黒人中産階級の崩壊に伴い、黒人下層階級を援助する気持ちと経済的余裕を失いつつあるのではないかという意見もあった。最後にもうすぐ出版される上杉先生の「新しいアメリカ黒人史」を刮目して待ちたい。



   

シンポジウム

   好奇の心と畏怖の念:the Quintessence of American Literature

はじめに

  小説は読んで楽しむものだと知りながら、では何が読まれ楽しまれているかは確かではない。批評家に訊ねても、高尚な哲学理論と現世の利害得失にはまり込んだ話からは、文学がひとりの人間の有様を示す真実そのものだなどとは誰も考えていないように思われる。それではこうした状況で人はいったい何を文学に求めるのかという、いかにもナイーヴな発想で議論をしようとしたのが、「若さというもの」を主題に掲げて若手研究者が Joyce Carol Oates を論じたかつてのワークショップであった。
 主人公の少女が家族の留守中に突然訪れる男に連れ去られる話の結末から、異性に抱く想いと、そこで予想される暴力とのはざまにあって、この少女の心情がいかにあるかを読み取ろうという試みであった。当然のことではあるが、主宰するものの非力もあって、背反する見解が入り乱れることになったが、そのいずれもが、異形のものに強く惹かれる気持と未知のものへの恐ろしさがこの少女の中に混在しているという事実に収斂するものであったと思う。
 つまりはこれが異形の世界に対する好奇の眼差しと、そこで展開する恐怖に満ちた事象であるとすれば、さる著名な批評家の顰に倣って言えば、アメリカ小説における「愛と死」ならぬ「好奇と恐怖」という問題提起となり、あえて拡大すれば、アメリカ文学の基本的な次元としてこのことを常に意識せざるをえなくなるのである。
 この通奏低音とも言うべきものの上に、個々の作品がその旋律をどのように繰り広げていくのかという興味で、このシンポジウムを進めてみたいと考えたわけである。(片山 厚)

     

エドガー・アラン・ポーと「ダブル」のテーマ

        講師 鎌田 禎子 (北海道医療大学)

要旨

  ポーの「ダブル」と言えば、もちろん分身譚の古典と言える「ウィリアム・ウィルソン」があるが、古来多くの人々を魅了してきた「ダブル」のテーマは、ポーの他の作品においてもさまざまな形をとって現れている。  「ウィリアム・ウィルソン」が自我の分裂の物語であると素直に読むならば、他の「あまのじゃく」の気質を持った主人公たちもまた、自我の統合に失敗して自己破壊を導いている点で、一種のダブルを抱えていると言えるだろう。また、アッシャーとマデラインのように、他者の中に自己と同じものを見出し、その相手と無理やり合一をはかり、その結果やはり破滅する人物たちがいる。いずれにしろ、民間伝承で分身を見ることが死の予兆であるように、これらのダブルは災いをもたらす。ダブルとは何か。ポーはなぜこの時代にこの主題で繰り返し、制御できない分裂した自我、そして自立できずに他者と合わさろうとする自我を描きつづけたのかを、いくつかの作品を挙げながら提起する。
 さらに、災いと結びつかない、幸福なダブルと見えるものについて考える。“Bi-Part Soul”を持つと描かれたデュパンなど、ポーの探偵や探偵的な人物は、異なる2つの資質、思考法を併せ持ち、その完璧な統御による理想的な能力を手に入れたかのようである。これは、「良い」ダブルの完成形なのか。変質した探偵小説や、晩年の復讐譚にも目を向けながら考えてみたい。

    

Louisa May Alcott, “A Whisper in the Dark” (1863)

        講師 宮下 雅年 (北海道大学)

要旨

  Little Women の第一部が出版されたのは1868年のことである。それが好評を博して Louisa May Alcott の名は少年少女文学の書き手として世間に知れ渡った。本編は、それ以前、著者が若くして一家の稼ぎ手になり「売文業」に勤しまなければならなかった時期に、絵入り週刊新聞 (Frank Leslie's Illustrated Newspaper) に匿名で掲載された作品である。主人公 Sybil はまだ17歳の娘であるが、その遺産相続をめぐって「身内」の陰謀に巻き込まれ、結婚相手を押し付けられたり、相続権を無効にするため狂人扱いされたりする。短編ながら本編にはゴシック小説の道具立てが随所にある。軸心は、「おじ」のわるだくみでうら若き女性に施される洗脳、狂気の科学者(医者)による抑圧、そして監禁・脱出にある。恐怖の館で主人公が夢遊歩行しながら目撃する幽霊のごとき手、闇の中で耳にする亡霊のささやき、はたまたダブルの存在。こうして主人公はいわば世の「縁」の仮構性と抑圧性を知る。ゴシック仕立ては乙女の「好奇の心と畏怖の念」を通じて結晶化した人生のしがらみの形象である、と仮定して、最終的に、火事によって脱出し、その果てに結婚相手に見出され、今度はきずなとして立ち現れる「縁」に救われるという本編の結末を、Jane Eyre (1847) や(かのバーサに照準している)Wide Sargasso Sea (1966) に手短に触れながら、検討する。

   

Passing into the Dark――南部のグロテスク再考

        講師 松井 美穂 (札幌市立大学)

要旨

   南部の、特に南部ルネッサンス期の文学は、グロテスクをひとつの特徴としている。しかしながら、当時の南部社会にグロテスクと思われる人物があふれていたわけではないであろうし、人種差別やリンチといった暴力にしても、多くの南部白人にとって、それは社会的には正常な在り方であって、その現実を歪んだこととかグロテスクなことと受けとめる人は主流ではなかったであろう。では何故、南部の作家(ここでは白人作家を対象にしている)が南部社会を文学作品の中で描いた時、その社会はグロテスクな様相を帯びることになるのであろうか?
 Thomas Mann は、グロテスクは “the genuine anti-bourgeois style” であると述べている。南部作家の描くグロテスク性も南部の支配階級が作り出した文化、社会システム、そして南部人を強固に支配し続けた様々な神話に対抗する、あるいはそれを脱構築するものであると言えるであろう。そしてこのようなグロテスク表象を可能にしたのは(あるいは結果としてグロテスクな表象となったのは)、作家が南部社会を見る際に他者の視点を獲得したからではないだろうか。つまり、ここでいう他者の視点とは、南部白人の他者である黒人の視点である。意識的にしろ、無意識にしろ、黒人の視点を内包する “double vision” を通して白人作家が南部社会を描くとき、白く秩序だったその表層は、暗い裂け目をあらわにすることになるのである。
 以上のことをシンポジウムでは、Julia Peterkin (1880-1961) の “A Baby's Mouth” (1922) などの初期の短編、William Faulkner (1897-1962) の “A Rose for Emily” (1930)、そして Eudora Welty (1909-2001) の “The Burning“ (1955)を通して考えてみた。まず、Julia Peterkin においては作家自身が白人女性でありながら黒人という仮面を身にまとうことで、グロテスクなものを、白人社会を相対化し自己を解放する契機としていることを確認した。 “A Rose for Emily” においては、Miss Emily とともに(彼女のボディのメタファーでもある)屋敷に閉じこもり、その分身とも言える黒人の召使い Tobe に注目しながら、Miss Emily のボディ(屋敷)を再読してみた。“A Rose for Emily” と同じくゴシック的な要素が多く盛り込まれた作品であり、南北戦争時のプランテーション屋敷を舞台とした “The Burning” においては、視点的人物である屋敷に仕える黒人女性 Delilah に焦点をあて、彼女の視点を通して人種とセクシュアリティをめぐる南部の神話が解体されていく様を考察してみた。
 このように作品を見て行くことで、“double vision” が産み出すグロテスクな物語は、南部における人種とセクシュアリティをめぐるコードの虚構性をあらわにし、南部の神話に抵抗する物語となり得る、というところまで論を進めたかったのだが、(予想通り)扱う作品が多過ぎて時間切れ、となった。この発表は、「何故南部白人がグロテスクなものに恐怖(あるいは畏怖)しつつ魅惑されるのかをもう一度考え直してみよう」というスタートラインであったことを確認してこの報告を締めくくりたい。

   

ミステリーとサスペンスの物語から何が

        司会・講師 片山  厚

要旨

  小説に限っても既に五十篇を越す作品がある Joyce Carol Oates (1938‐ ) だが、当然のこととはいえ、その旺盛な読書の量とそれゆえの知識の豊かさもまた驚くべきものである。彼女の本質を一概に論ずることなど、まさに象を撫でるの試みかもしれない。
 しかし、文学を志した少女時代から現在まで、彼女の心を捉えて離さずにあるものとして、彼女を囲むあらゆるものに向けられるその好奇の眼差しと、それを余さず微細に心に留めようとする強い意欲がいつも感じられるのだ。異形の境界に身を投じようとして恐怖の念に苛まれつつもなお突き進む主人公といった例がいくつも見られるのもその証しである。このことは、2008年に最愛の夫に先立たれた彼女の A Widow's Story (2011) を読むことで一層明らかになると思う。
 こうした彼女の思いは、例えば Haunted: Tales of the Grotesque (1994) などの短編集から、American Gothic Tales (1996) と題する選集の編纂を経て、自ら思惟するものを超えて、広くアメリカ文学全般にある特質として意識されていくのである。
 ここでは、ある意味で比較的良く知られている短編、“Where Are You Going, Where Have You Been?”(1966) の延長のような A Fair Maiden: A tale of dark suspense (2010) と、 Mystery と Suspense の物語という副題のある短編集、Give Me Your Heart (2010) からのいくつかの作品を中心に考察を進めたいと思っている。

 

報告 (司会 片山  厚)

  確たる結論を見ることなくという言い方で会を閉じることがそれほど珍しくないと、シンポジウムを考えるときにいつも思ってしまいます。それなら最初から結論は無いものとして、そこに至る経過が重要なのだと考えてはどうか。論文の発表にはならないように、話題を提供し、疑問を開示して参加者と共々に議論することにしようと意図したのがこののシンポジウムの当初の姿勢でした。
 そこで、アメリカ文学に見られる異形への好奇とそこに生ずる恐怖を手がかりとしながら、それを文学としては、卑近な、かつ普遍的なものとして考えようと、まず作品を読むという点に絞って話題提供を行ったつもりでした。
 最初に鎌田氏は、Edgar Allan Poe の「分裂する自我」に言及し、いくつかの短編をもとに「ダブル」に触れ、Poe の言う「魂の恐怖」に論を進めました。続いて宮下氏は、Louisa May Alcott の “The Whisper in the Dark” を論ずることで、Alcott が家族という形態の虚構性とそれが孕む恐怖についてどのように考えていたかを問題として問いかけました。この段階で、既に参加者はいわゆるゴシック小説なるものとの関連でこの話題を考察することになったのではないでしょうか。それは半ば意図したものではありながら、いささか不用意でもありました。
 時代順に次に南部の作家を取り上げた松井氏は、南部に関わってあたかも当然のように言及されるグロテスク性について、作家がいわば他者の眼をもって社会を見ることによるもので、黒人の視点をもつ白人作家の所産ではないかと考えます。限られた時間で意を尽くし得なかった嫌いもありますが、Julia Peterkin についての問題提起は格好の証しでありました。
 こうして時代を通じてゴシック小説なるもののあり方を見たうえで、片山は Joyce Carol Oates の作品によって、その現代性に触れることができればよいと目論んでいましたが、重複する話題の提供は不要と思い、特に彼女がこのジャンルにことのほか関心が深いこと、いわばジャンルを越えてアメリカ文学を支える重要な要素であると認識しているかに思える点を、彼女が編纂した American Gothic Tales によって説明しました。
 本来はここからの討論が集まりの主眼になるはずでした。しかし、司会の運びの拙さでそれに当てる時間がとれず、慧眼の質問に答える形で、省いてあった主題の意味するところの説明は、あまりにも簡略に付言するだけになってしまいました。好奇の心から必然の如くに生ずる畏怖の念こそ、開拓期のピューリタンの生業に根深くあり、『白鯨』に思い知らされ、多くの現代作家の中に読み取ることのできる特質のひとつかもしれないと。
 やはり、確たる結論は未だしであって、参加者それぞれに、この場をもとにしてなにかが結実することになればよいと望んでいるのですが。

当日の講師陣:左から、諏訪部、加藤、塚田、西谷、本城

講演中の堤先生

シンポジウムの講師陣:左より、松田、佐藤、野坂、荒木

 
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